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2023/05/27 17:30

「鷹紋」の起源と特徴

「鷹紋」とは、日本十大家紋の一つであり、その勇猛さから武士などの尚武的なイメージを表現するために用いられる紋章です。初出は、「蒙古襲来絵詞」に登場する菊池武房の軍旗に描かれた「並び鷹の羽」であり、菊池隆直の時代(1156年から1159年の間)に使用されたことが「菊池系図」に記されています。また、「北肥戦誌」には、夢の中で阿蘇神社から鷹の羽の幕紋を下賜されたという記述もあります。

鷹紋は広く使用され、日本の家紋の中でも十大家紋に数えられています。江戸時代には、阿部氏(白河藩、備後福山藩など)や安芸浅野氏、下総関宿久世氏などの大名や旗本など約120家が鷹の羽紋を使用していました。阿蘇神社が「違い鷹の羽」を神紋として採用している影響もあり、南九州地域に特に多く見られます。また、武士階級が多く使用した紋章であるため、かつて武家政権が存在した地域にも多く分布しているのが特徴です(例えば京都や東京、九州の太宰府など)。

鷹紋のデザインには、「違い鷹の羽」や「並び鷹の羽」など、2枚の鷹の羽を交差させたり並べたりするパターンが見られます。さらに、鷹の羽紋は多様性に富んでおり、60種以上のデザインが存在します。例えば、赤穂事件の発端となった赤穂藩主浅野長矩の紋章は「丸に違い鷹の羽(浅野鷹の羽)」であり、阿蘇神社を保護していた菊池氏は「並び鷹の羽」を使用していました。

鷹紋はその勇ましい姿勢と尚武的な意味から、多くの人々に愛されています。その起源と特徴は、日本の歴史や文化において重要な位置を占めていることを物語っています。